何でも他人とすぐに比べる傾向がある

自己愛性パーソナリティ障害、あるいは、自己愛が極めて強い人の特徴として、幸せあるいは不幸の基準、仕事やお金の事から些細な出来事まで、常に友人や知り合いを比較対象として比べたがる傾向があります。

私が親しくしていた自己愛性パーソナリティ障害の女性の場合、毎日のように他人と自分とを比較し、他人よりも勝っていると上機嫌、劣っていると愚痴ばかり・・・という日々でした。

そんな彼女の口癖の中で、愚痴に関しては以下のようなものが大半でした。

「私は一生懸命仕事してるのに、同僚のあの子は営業成績も悪いのに早く帰ってる。あの子、いいな・・・。私もう、仕事したくないな・・・」
「私は営業成績も一番なのに固定給なの。成績悪い同僚も私と同じ固定額の給与なの。もう仕事、辞めたいな・・・」
「あの子、彼氏が3人もいるんだって。私は1人しかいない。うらやましいな。私ももっと欲しいな・・・」
・・・こんな愚痴をいつも言うのですが、基本的にはこのように幼稚な内容が多く、とても社会的には通用しない愚痴ばかりでした。

自分の目標がしっかりあって、それに向かって努力をする・・・という姿勢があれば、そんな愚痴は出るはずもないのですが、「自分の目標がない」「自分の価値観を持っていない」「その場その場で生きている」「その場の感情で一喜一憂する」「計画性がない」「自分しか見えていない(他人は見えていない)」・・・このような特徴が一般の人に比べて非常に強く出ており、それが故に、愚痴ばかりのマイナス思考となり、「私って、かわいそう・・・」という思考に陥るわけです。

一方で、彼女が他人と比較して勝っている時に発する発言としては、以下のようなことが大部分でした。

「どうしてあの地域のOLは、服装がダサいのかな。私が今日歩いたら、みんな私を見るの。私はエルメスのスカーフだもんね。格好いいサラリーマンも、私に声を掛けてくるの。」
「このスヌード、いいでしょ!? あのお店限定で、最後の1枚だったの。もうどこにも売ってないんだよ!」
「今度のボーナス、100万近くなの。営業成績一番だったからね。同僚はみんな、仕事できないの。バカなの。」
これらも基本的には、あまり同調できる内容はほぼなく、自意識過剰といいますか、他人をけなすことで自分を高めているような、そんな印象だけが強く残る発言が多かったです。

さらには、自己愛性人格障害ではなくとも、私がよく知る自己愛が非常に強い男性の場合、以下のような他人と比較した発言がいつものように繰り返されていました。

「大学の同級生に比べて、自分の給与は全然低い。生きていけない。」
「あの会社は有休ばかり。自分は全然休めていない。」
「世間はボーナスの時期、いいなあ。自分にはボーナスがない。」
「自分は離婚しているから、円満そうな家族を見ると気分が悪い。」
「あの人は円満そうだけど、このあときっとうまくいかなくなる。」
「自分は離婚もしていて、皆より不幸。」
「あの人より全然仕事をしているのに、褒めてくれない。」
「取引先のあの人、仕事ができない。自分は本当に優秀。」
「中途入社したあの人、もう辞めると思う。」
・・・・・
基本的には、お金や優劣や自由に関する他人との比較や不満が大半を占め、自己愛性パーソナリティ障害の場合とほぼ一致する内容や言動でした。

「物事を測る尺度が、他人との単なる比較だけ」であり、「自分の目標が何であり、自分がどうしたいのか?」「自分の価値観は何なのか?」ということに対し、一切考えがない、考えていない・・・というもので、単にその場その場での自己欲求を満たしたいが故に発する、反射神経的な発言ばかりであるのです。

つまり、自身の幸せや満足の尺度は、「他人と比較して、優劣を決める」という単純なものであり、「絶対的な価値観や自己を持たない」という特性が見られるのです。

この原因としては、このブログでも何度か触れている、脳の前頭前野の未発達が起因しているものと思われます。

前頭前野は、他者との共感性や社会性などを司ったり、判断したりする役目を持っていますが、その部分の未発達により、社会的な基準を持ち合わせていなかったり、絶対的な判断に欠けるという傾向がみられます(社会常識や倫理観の欠如)。
つまり、自分の意見というものを考えにくく持ちにくい為、ごく近くの他人などと比較することで物事を判断し、感情を出すことが大半となり、結果、視野が非常に狭く場当たり的な言動となる訳です。

自己愛性パーソナリティ障害の人や自己愛が極めて強い人は、自己や自身の価値観を持つことが難しい為、すぐに他人と比較する傾向があり、それに応じて一喜一憂するという特徴が強くみられるというお話でした。

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