自己愛性パーソナリティ障害の特徴の1つに「業績や才能を誇張する」というものがあります。

自分の実際の実力や能力よりも大きく誇張する、簡単に言えば「見栄を張る」という誰にでもある行為なのですが、自己愛性パーソナリティ障害の人の場合、「誇張の程度が明らかに度を越している」という特徴があり、違和感を常に感じます。自己愛性パーソナリティ障害である本人は至って普通に話しているだけなのですが、聞いている側からすると明らかな違和感といいますか、不自然さがあるのです。

1つ、実例をお話します・・・

中学時代の同級生(女性)とSNSを介して数十年ぶりに繋がり、しばらくして実際に再会、そして初めて夜ご飯を共にした時のことでした。彼女との会話の中で、彼女から以下のような話がありました。

「私が勤めていた〇〇銀行のATMシステム、私の言う通りにしなかったから、システムがうまく動かなかったの。あれほど言ったのに・・・。だからその銀行、私、辞めたんだ。」

彼女が勤めていた銀行は、誰もが知る、大手都市銀行でした。そして、彼女は短大卒で、ある支店の窓口行員でした。

つまり、ごく普通の一般職であり、しかも二十代の若い女性行員1人の意見が、某大手銀行同士の合併に伴うATMシステムへの意見が反映されることなど、まずあり得ないことは誰でも分かりますが、彼女はごく自然に、当たり前に、自信を持って上記のような話をしました。

「話が大袈裟であり、誇張され、明らかな違和感を感じた」というのが率直な思いでした。「この子、何を言っているんだろう?」と・・・

その彼女とはその後、次第に親しく接していくことになるのですが、会って話をする度に、誇張や違和感を感じることが毎回必ずありました。

彼女は最終的に「自己愛性パーソナリティ障害」であることがのちに発覚したのですが、数十年振りの再会の場にもかかわらず、会ってものの1~2時間で会話に強烈な違和感を感じたことを、今でも鮮烈に覚えています。

なお、彼女にとっては、自分が話を誇張しているということに対して、自身でも潜在意識下では気づいているものの、自身を良く見せようとする、高く見せようとする、そのプライドの高さが優先されてしまっているが故に、相手がこの話を聞いた時に「不自然さや違和感を感じるのではないか?」などという疑念や不安は全くを持ってない、感じていないという状況です。

これは自己愛性人格障害の特徴の一つでもある「共感性の欠如」、つまり、相手の立場に立って物事を考えることが著しく欠けているという症状であり、その結果、自身の話を誇張していたとしても、それに対するためらいや羞恥心は一切なく、本人としては単にごく普通の会話をしているだけなのです。

このように自己愛性パーソナリティ障害である本人は決して自覚することのない、相手の感じるこうした違和感が、のちに自己中心的・わがまま・虚言といった行いも加わって周囲と軋轢を生む原因となり、結果、本人の「生きづらさ」に繋がってくるものと思われます。